2017年04月04日

真の文明を求めて

真の文明を求めて(2012.5.5再掲)

■だから言ったじゃないか!
「だから言ったじゃないか」とはこのことです。前回の本稿(2011.2)で、テレビコマーシャルが原子力発電まで「地球にやさしい」と言い出したことに呆れて、これからはうちで作っているコットン布団には、地球にやさしいを使わないことにしたと書きました。あれを書いたのは2011年2月のことです。まさに「だから言ったじゃないか」を3.11は実証してくれました。何度も放射能の危険が警告されていたのに「絶対事故は起きない」と言い張った結果が、「言わんこっちゃない」ことになりました。
 3.11の大災害からもう1年余が過ぎました。この間は皆さんと同じように何も手につかないで、ハラハラドキドキのまま時が過ぎてしまいました。この連載もすっかり間が空いてしまいました。
この大災害を引き起こした津波映像の恐ろしさと、被害の悲惨さに心が痛み、打ちひしがれている間にも原発の爆発で飛び散った放射能は千葉県の我が町にも降りかかってきたではありませんか。まして原発に近い福島の皆さんにとっては、身に降りかかる放射能の恐怖ばかりでなく、避難中のご苦労からこれからの生活設計まで、そのご心労はいかばかりかと想像するだけでも胸が痛みます。津波は天災ですが原発は人災です。だから言ったじゃないか原発は危ないって!。

■明治の鉱毒事件を思う
放射能汚染が広がり、原発付近の町の人々の避難が始まった時、ハッと思い出したのは今からおよそ120年前、明治年間に渡良瀬川流域で起きた足尾銅山鉱毒事件です。足尾銅山の精錬所から流れ出た鉱毒により、渡良瀬川流沿一帯の栃木、群馬、埼玉、茨城4県の農業地帯の作物に被害が広がりました。しかし農民たちの抗議行動にもかかわらず、銅山は操業を止めることなく鉱毒を流し続けたのです。
被害地域一帯の農民の窮状を見かねて立ち上がったのは、時の衆議院議員、田中正造です。正造は議員として国会で鉱害農地の被害状況を訴えるとともに、銅山廃坑と農民救済を何度も政府に迫りました。しかし産業振興を国策としていた政府はいつまでも有効な対策をとることをしませんでした。
正造は最後の手段として議員を辞職し、明治天皇の行幸に合わせ決死の直訴をはかりました。この直訴は護衛に阻まれて成りませんでしたが、この事件が当時の新聞で大きく伝えられたことで次第に世論が高まり、時を経て渡良瀬川の氾濫防止のために作られた遊水地が現在の谷中湖です。渡良瀬遊水池とも言われています。しかし鉱毒を氾濫させないための河川改修によって湖底となり、立ち退きを迫られたのが谷中村の村民でした。正造は最後まで村民と行動を共にして生涯を閉じました。
 足尾の鉱毒は100余年後の今日でもまだ作物に痕跡を残しているといわれます。しかしそれを言うと価格が下がるので農家の人は黙っているのだそうです。福島の原発放射能はまだ収束していません。福島から避難されている方々を難民と言うのは辛いのですが、やがて生活再建には程遠いお金と引き換えに関心が薄れてしまうのではないかと心配でなりません。それは棄民に通じることです。福島の人たちが生まれ故郷に戻れるのは何時になることでしょうか。

■真の文明は 山を荒らさず 川を荒らさず 村を破らず 人を殺さざるべし
100余年前、足尾の鉱毒事件に対して田中正造が語ったこの言葉が今日に蘇っています。
去る10月1日、栃木県佐野市で田中正造没後100年の記念講演会が催されました。正造が100余年前に「デンキ開けて世見暗夜となれり」と警鐘していたことを知り、その先見性に感嘆したところです。
明治年間に起きた足尾鉱毒事件の真相を知るほど、あらためて現代の福島原発事故とあまりの同一性に驚いています。まさに福島の原発難民の姿は鉱毒に汚染された流域一帯の農民と、谷中湖造成で棄民された谷中村村民の悲劇そのものの様相を呈してきました。谷中村の何千倍の規模において正造の警告は現実になりつつあります。
この原発災害で山川草木、そして海も汚され、人々の暮らしは日々破られています。持続可能社会への転換が急がれる中で起きたこの人災は、近代工業化文明が「真の文明」にあらざることをはっきり証明しています。3.11人災の悲劇が持続可能な新たな文明への転換を促すことに繋がることを願ってやみません。
3.11からの心の整理にはベストセラーなった「慈悲の怒り」上田紀行(朝日新聞出版)がありますが、さらに一歩踏み込んで私たちが今何をなすべきかを問いかけているのが、「真の文明は人を殺さず」小松裕(小学館)です。前書が天災の悲しみと人災の怒りを仏教の慈悲の心を通して語っているのに対して、本書は国会議員の身を捨て、被害農民救済に立ち上がった正造の足跡を丁寧に辿り、明治の鉱毒事件と今回の原発事故を比べながら、正造の言う真の文明への道を探ろうとしています。
著者は「どうしてもっと早く田中正造の思想をたくさんの人々に伝える努力をしなかったのだろうか(中略)正造の思想には近代文明そのものに対する痛烈な批判と、それを克服していく道筋に関するヒントが存在している」と語っています。
平成の人々に降りかかるこの苦難を「先生、どうしたらいいのでしょうか?」と正造に問いかけたら、「それはお前たちがしでかしたことではないか」と言われそうですね。

■わたを植えて真の文明への夢を見る
近代工業化文明が人々を豊かにする文明でなかったことがわかって、いよいよコットンの出番です。
千葉市にある週末ファーマーズクラブ農園の和棉畑では、12月中旬の今でもコットンボールがまだ弾けています。和棉の栽培もかれこれ10年近く続けていますが、それは衣料品の原料として人間の暮らしと切っても切れない関係にあるのが「わた」であり、わたにまつわる技能や伝統が私たちの文化だからです。わたと文明は切り離せないものだと思うからです。
コットン原綿は輸入品との大幅な価格差によって、国内栽培はほとんど絶滅し、自給率は0%になっています。しかし日本にも古来から伝わる和わたがあったのです。前にお話ししましたが、鴨川和棉農園の田畑健さんの和綿の種を守ろうという呼びかけにこたえて、全国各地で、それぞれの地域に適した和綿種の栽培が復活し始めてきました。それはわたを通して、真の文明の炎を絶やしてはならないという皆さんの思いがつながってきたことでもあります。
いま、田んぼや畑はたくさん遊んでいるのに食料自給率は半分にも至っていません。山には杉の森がたくさんあるのに大部分の木材は輸入されています。このようにコットンだけでなく、生活の基盤である衣食住の大部分を海外に頼っていることも忘れてはならないと思います。
私は先の大戦の後の食糧難のことを覚えていますから、このように衣食住を他国に頼って暮らしていることが不安でなりません。いくらお金を積み上げても食べ物を売ってもらえない時代がそのうち必ず来ることが目に見えるようにわかります。産業優先の経済社会のしわ寄せがこのように暮らしの大元である衣食住のところで起きていることに早く気付いてほしいと思います。

■幸せのコットンボールプロジェクト
それでは自分は何をなすべきかと考えた結論が和棉の栽培です。自分の関わりの中で自信を持って出来る唯一のことがこれでした。最早絶滅寸前になっていた和わたを植えることがわた屋の原点還りになり、新たな始まりにもなると考えたのです。
ちょうど栃木県藤原町の「幸せのコットンボール」プロジェクトが始まった時でした。私どもも同業の寝具店の仲間たちと東京江東区の木場公園で2004年春「江東プロジェクト」としてコットン栽培を開始しました。その年秋にはコットンボールの収穫に合わせて「蘇るわたの文化」―本当の豊かさを求めて―
http://www.ecofuton.com/re/event/event03-001.htm を開催しました。わたの栽培は、昨年より千葉市の週末ファーマーズクラブ和綿畑と2ヵ所で続けています。
わた屋がわたを植えてみると、思いもよらない広がりの世界がみえてきました。何よりも同じ道を行く多くの仲間たちと出会うことができました。そのわた製品のコットン布団がエコロジーな暮らしを支える道に通じていることに確信を持てるようになりました。そしてもう一つは、グローバルな競争社会の中で町の商店の生き残る道を見付けることにもなりました。
栃木県の幸せのコットンボールプロジェクトはその後大きく活動を広げ、収穫した和棉で「和綿Tシャツ」を完成しました。純日本産のこのTシャツの一部はYMOのサイン入りTシャツでオークションに懸けられ話題にもなりました。また現在は「渡良瀬エコビレッジ」
http://blog.canpan.info/watarase/ と改称して幅広い活動を続けています。
真の文明などと言うのはおこがましいのですが、コットンを愛するみなさんの目指しているところがだんだんと見えてきたように感じてきたところです。(2012.5.5 エコロジーオンラインブログより)
posted by oyamatsu at 21:26| Comment(0) | オーガニック

2017年03月25日

オーガニックコットンビジネスの背景と未来

「オーガニックコットンビジネスの背景と未来」というセミナーに参加しました。
オーガニックコットンの世界的認証プロジェクトのRemei社CEOと、bioRe INDIAのCEOによって、オーガニックコットン目指す未来の姿と、栽培現地の実態を詳しく聞いてきました。
布団わたのほとんどは、インドから輸入されていますが、インド綿の95%は遺伝子組み換え綿になっていて、それまで栽培されていた伝統的な慣行栽培種は絶滅した実情を知りました。

その中で、bioRe INDIA社のオーガニックコットンプロジェクトが行われています。
このプロジェクトは、単なる栽培支援を超えた、農民の健康や環境までフォローするbioRe社の公平を重んじたシステムによって実行されています。
またすべての製品は、生産者まで追跡できる、トレサビリティーが確立していますので、信頼のルートによってつながっています。

オーガニックコットに取り組んだ当初は、農薬や化学肥料などの薬害が問題になっていましたが、それらの問題より、今日では遺伝子組み換え種による弊害が大きな問題になっている様子でした。
あらためて、オーガニックコットンをこのルートから供給してきてよかった、このルートのオーガニックコットンが世界で一番信頼出来る製品であることを、再確認することが出来ました。
posted by oyamatsu at 22:17| Comment(0) | 日記

2017年02月02日

赤ちゃんのふとんを自作したご夫婦(3)

オーガニックコットンはコットンの純粋性を守るために生まれたコットンです
大量生産方式で生産されたコットン製品が市場を席巻するとともに、よりコットンの原点に回帰した、純粋のコットンが求められるようになりました。コットン畑の土壌汚染や、栽培農民の健康問題も無視できなくなってきたからです。
そして蘇ったのがオーガニックコットンです。コットンの純粋性が人工的に失われた反省から、農薬や化学肥料を厳密に排除した昔ながらの自然栽培のコットンです。
化学肥料や農薬がなかった時代のコットンは当然のことですが、自然のままのコットンでした。しかし現代では他のコットンと隔離し、厳密に管理して栽培しなければならなくなりました。

オーガニックコットンは純粋性を守るため、栽培、収穫ばかりでなく、加工、製品化の工程でも厳しく管理して、不純物の混入を防いでいます。
栽培段階では、遺伝子組み換え種子でないこと、化学肥料、農薬、殺虫剤、枯葉剤など化学物質を使わないこと、更に製品化工程でも化学染料や添加剤などを使用しないことなど、厳しい基準が決められています。 
しかし、オーガニックコットンはどんなに厳しい基準があっても、栽培から加工、販売までの流通経路にたずさわるすべての人の信頼関係がなければ成り立ちません。もし製品化までの工程のどこかで、妥協が生まれ、省略や不正が起きてしまうと、それだけオーガニックの純粋性が損なわれてしまいます。栽培から消費までの流通経路が長くなるほどこの不安は高まってくるのです。

そしてその品質を保証するのがフェアートレードのルートです
オーガニックコットン製品は、栽培地から、加工、販売までのルートが、常に開かれていなければなりません。そしてそれを、誰にでも証明できる透明性が必要です。
このことをトレーサビリティ(traceability)といいます。物品の流通経路を生産段階から最終消費段階まで遡って追跡し、流通ルートごとに証明できることです。

その第一番目は、栽培している農民を信頼して、生産をお願いすることから始まります。他のコットンとはっきり別けて栽培して貰うには、充分に採算の取れる買い取り金額を支払うことはもちろん、収穫物の全部を買い取ることを約束しなければなりません。
特定の誰かのところが儲かるようなシステムでは、農民はけして信用してはくれません。信頼関係なくして、公正公平なフェアトレードシステムは成り立たないのです。
それは適正価格でインド、タンザニアなどの農民の暮らしを支えるとともに、収穫後の生産、加工、消費までの長い工程にかかわる、すべての人たちが共に共存する、未来のライフスタイルを目指す試みでもあります。オーガニックコットンの流通から、それを購入する人たちの間で生まれてくるのは、未来に向かって一緒に豊かな暮らしを守るための、持続的な共存共助のこころです。
公平なルートによって純粋性が守られているオーガニックコットンは、未来の暮らし方の先駆けになるものです。オーガニックのこころが、あらゆる製品に広まって欲しいと思います。

未来の地球環境をまもるオーガニックコットン
とりわけこれから産まれて来る赤ちゃんのためには、どうしても使っていただきたいのが、オーガニックコットンのベビーふとんです。なぜなら、オーガニックコットンが未来の地球の環境を担っているからです。オーガニックコットなくしては赤ちゃんの未来もなくなってしまうからです。

東海林さんご夫婦の、ご自身の子どものふとんを自分で作りたい、その夢には、このような大きな目標があったのです。
奥様のミモザさんの幼児期の体験を綴るブログから、かなり強度なアトピー症に苦しまれたことを知りました。
http://www.mimoz-art.com/entry/2017/01/04/145849
奥様の幼児期の痛々しい包帯に巻かれた写真を拝見したとき、この苦しみを産まれて来るお子さんには引き継がせてはならないというお二人の思いを知りました。
お二人で作られたオーガニックコットンのベビーふとんには、この思いが託されていたのです。
お二人の願いが単なるもの作りの好奇心を超えたところにあったことを知りました。

八丈島で始まった新しい暮らし
東海林さんご夫妻はいま、お子さんとともに、自然豊かな八丈島に移住しました。そして、手仕事の得意なご夫妻です。いろいろのモノ作りをなさる計画があると聞きました。
その中の一つに、オーガニックコットンのふとん作りも入っているようです。
それは大手メーカーの職を捨てたご主人と、高校教師の職を捨てた奥様の、新しい暮らし方への決意の選択でした。

いまオーガニックコットに注目が集まってきました。いよいよ大手メーカーも本腰を上げてオーガニックコットン製品に手を出し始めました。オーガニックコットンが、持続的な未来の暮らし方にはなくてはならない時代になったのです。
八丈島でのお二人のこれからの暮らしの中で、オーガニックコットンのふとん作りがどんな広がりを見せるか、楽しみにしています。
■お二人が作った新しいサイトをご紹介いたします。
LalaSalama:http://lalasalama.net/index.html
LalaSalama Facebookページ
posted by oyamatsu at 11:16| Comment(0) | ベビーふとん